NIROインタビュー



今日は、3S活動による自社の生産性向上と、社外一般への3S活動の啓蒙・教育に精力的に取り組まれている枚岡合金工具株式会社の古芝保治会長にお話を伺います。
枚岡合金工具株式会社様には、NIRO主催の「3S工場見学会&3S講習会」もご担当いただいています。

古芝氏

枚岡合金工具株式会社 代表取締役会長 古芝 保治(ふるしば やすはる)様

5S活動と3S活動の手引 By 枚岡合金工具(株)
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枚岡合金の「3S」


―― まず、御社についてご紹介していただけますか。

創業は昭和24年、資本金70万円・3名の小さな町工場からスタートしました。今年で設立72年になり、現在の主な事業は、冷間鍛造金型の設計・製造、特に長寿命金型を得意にしています。さらに、19年前にスタートした「IT事業」、そして「教育事業」があります。


―― 町の金型工場で「IT」と「教育」とは...これは御社の「3S活動」と何か繋がりがありそうですね。早速ですが「3S活動」とはどういうものか教えていただけますか?

3Sとは「整理」「整頓」「清掃」の3つの「S」のことです。そして、なぜ3S活動をするかというと、3M、すなわち「無駄」「無理」「ムラ」の3つの「M」を無くすためです。


―― 「5S」というのもあると思うのですが。

先の3つに「清潔」「躾」を加えて「5S」と称していますね。しかし、枚岡合金では敢えて3つに絞って取り組んでいます。というのも、3Sを「徹底」すれば自ずと職場は「清潔」になり、さらに、従業員の習慣、すなわち「躾」となると考えるからです。また、管理項目を減らすることで「守るべきことを決め、決めたことを守る」ことを徹底し、3S活動を習慣化することができます。重要なことは、Sの数ではなく、日々欠かさず心を込めて活動を実践し継続することなのです。


―― 「3S活動」自体は、御社に限らず広く一般的に行われている取り組みだと思いますが、御社の場合はその徹底度が並外れているような...

はい。朝礼のあと10分間、社員全員で床を磨くところから枚岡合金の朝が始まります。ゴミなし、チリなし、ホコリなし、ヨゴレなしです。鉄工所であるにも関わらず、床はピカピカで横になって寝ることだってできますよ。以上は「清掃」ですが、「整理」に関しても徹底しています。物品を「今要るもの:生」「急がないもの(5日以内):休」「急がないもの(半年以内):半死」「要らないもの:死」の4つに分類します。「要らないもの」と分類されたら容赦なく捨てます。例えば、かつて生産・受注管理用として、総額一千万円以上かけて導入していたオフコンが3台ありましたが、使わなくなってからあっさり捨てました。創業時からの設備で、思い入れも深かった旋盤も同様に。


―― 「3S活動」の取り組みにより、具体的にはどのような効果があるのでしょうか?

社員1時間当りのチャージが3,600円としますと、1秒が1円、つまり、人が1歩だけ歩くと1円かかるという計算です。「3S活動」を始める前、工具を探し出すのに平均3分はかかっていました。これに対して、工場長と2人で2日間かけて工具の重量を1個1個量り、耐荷重計算を行い、コンビニエンスストアのように標識を付けて整頓したことにより、「いつでも」「誰にでも」たった3秒で必要な工具を探し出すことができるようになりました。作業者が二人とすると、年間で節約できる時間が合わせて260時間になり93万6千円もの節約ができます。さらに、工具の在庫数も一目瞭然になりますから、余剰発注もなくなりました。


工場内


バブル崩壊と「3S活動」との出会い


―― なるほど。良いこと尽くめですね!

そうなのですが、「3S活動」に取り組み始めた当初は苦難の連続でしたよ。1989年に日経平均株価が最高値を付けた後、バブルが崩壊し、当社も赤字に転落してしまいました。このままではダメだと思い、経営者の勉強会に参加していました。その勉強会で、京都のある会社を見学したのですが、そこが3S活動によるピカピカ工場だったのです。そして、説明して下さる社員の皆さんの目の輝き...工場は汚いのが当たり前と思っていた私には大きなカルチャーショックでした。「これは凄い」と、ビデオを撮影している自分の手が震えるのが分かりました。
見学から帰ってくる道すがら、枚岡合金もこういう工場にしようと決意し、すぐさまこの工場を指導していたコンサルの先生に連絡しました。高額なコンサルフィーでしたので、負担を減らすために近くの会社にも声をかけて一緒に指導を仰ぎました。そして開口一番、先生から言われたんですよ。「今のままだと、5年後、皆さんの会社は消えて無くなりますよ」と。


 

―― それはショックでしたでしょうね。

はい。でも、その後の「徹底的な無駄な排除により安全・快適・効率的な現場を実現できる」という先生の理路整然とした説明に一同息を飲みました。「3S活動で枚岡合金に秩序を取り戻そう」と決心した瞬間です。

 

―― 最初は何から?

古芝氏

まず、「どんな不況がやってきても社員を解雇しない」「日本一長寿命な金型を作る」「妻、両親、子供、孫に誇れる3S活動をする」という3つの誓いを立てました。1999年のことです。
そして、社員と一緒に「3S活動」のキックオフ大会を開催したのですが、実際のところ、2割くらいの社員は「そんなことで会社が変わるのか?」と思っていたのではないでしょうか。



古い価値観との戦い


―― 心が折れそうになりませんでしたか?

何度も何度も自問自答しましたね。しかし、社員もいつかは分かってくれると確信していました。
まず、当時社長だった自らが雑巾をもって拭き掃除を始めました。副社長の弟・義己も「社長がすることじゃない」と反対しましたけど、翌日には一緒に。そうすると、社員たちも自ら掃除に参加してくれるようになりました。
しかし一方で、こんなこともありましたよ。ある社員の送別会での出来事です。創業時から弊社を支え続けてきた人でしたが、「お前たちは、人に見せてエエカッコするだけのために3S活動しているんだろ!」と吠えたんです。「そんなことより、ええもんを作っていたら、お客さんはきっとわかってくれる」と。結果、せっかくの送別会が荒れてしまい、お店からも追い出されてしまいました。あの時は滅茶苦茶に悔しかったですよ。私は、全社員に物心両面の幸せを提供するために頑張っているのに、全然理解されていなかったことがわかりましたから。

 

―― 全員が同じ想いにはならかったのですね。

古芝氏

確かに反対勢力はいました。「そんなことをして何になるのか」と。そもそも「3S活動」というものを社員が理解できていなかった。それどころか、私自身も正確には理解できていなかったと思います。だから、教えてもらうしかありませんし、そんな中で自分なりの創意工夫もたくさん生まれてきました。



生まれ変わる枚岡合金


―― そのころでしょうか。地元の巨大企業からの見学があったのは。

そうです。2001年のことです。私は、大阪商工会議所で行われていた経営講座に出席させていただいており、その講座の先生が当社の「3S活動」についてご存知だったこともあり、「いずれ、受講者一同で工場を見学させてもらいますね」と言われてはいたのですが。

 

――  突然来られた?

そうなんですよ、アポ無しで(笑)。いや驚きました。それも一度きりではなく、その後も様々な部署の幹部社員の皆さまが次々と見学に来られました。大企業病というのですかね、舵を切っても全然船は曲がらない。弊社のような小回りの効く中小企業の姿から学ぶことがあると、思われたのではないでしょうか。

 

―― 見学の際、逆に新しいビジネスのヒントをもらったとか。

見学者の一人から「枚岡合金さん、なぜそんなに書類が少ないのですか?」と聞かれたので、「お客様からいただいた図面は全て電子化して、翌日には全部捨てています。大事なのは紙じゃなくて情報ですから」と答えましたところ、「じゃあ、なぜそれをビジネスにしないのですか?」と。

 

―― なるほど、それが現在のITビジネスの始まりに?

はい。たった2時間半の出会いでしたが、枚岡合金の未来のビジョンに大きな影響を与えて下さったと思います。町の小さな金型工場とは一見そぐわないIT事業部が生まれた原点です。

 

―― 文書管理システム「デジタルドルフィンズ」ですね。

経営資源である人・モノ・金・情報等には大企業と格差がありますが、これらと違って「時間」だけは対等です。大企業でも中小企業でも1日は24時間しかありませんからね。これに対し、時間を活かすという理念のもとに開発した文書管理システム「デジタルドルフィンズ」は、今や数々の大手企業の皆様にお使いいただいています。こんな小さな工場で作ったソフトウエアが、一部上場企業で使われるなんて夢のまた夢だと思っていましたが(笑)。私達の徹底した無駄排除の精神が「デジタルドルフィンズ」に込められていることで、皆様からの高い評価に繋がったのだと思いますね。

古芝氏


これからの社会を担っていく人材を


―― その後も、雑誌やテレビにも多く紹介されているそうですね。

大手新聞社のビジネス誌にも6ページにも渡る記事を掲載していただきました。また、NHKでも紹介されました。この番組は世界放送でも流れましたので、その後は、国外からもたくさんの方が見学に来られています。私達の取り組みを紹介した書籍についても、国内だけにとどまらず、タイや台湾など海外にも翻訳されて出版していただいています。

 

―― そのような「3S活動」の取り組みを、社会に広く紹介していくということですね。

最初は、とても人には見せられないような汚い工場でも、徹底した「3S活動」によって生まれ変わることができるということを、皆さんに知っていただきたいのです。これは、社会に対するご恩返しだと思っています。書籍やセミナーだけでなく、Blog、メーマガジン、Web、SNSなどのネットメディアも縦横無尽に使って展開しているところです。

 

―― そのような取り組みが現在の教育事業につながったのですね。

はい。例えば、3Sセミナーの開催数は既に800回を超えていますし、見学された会社も1,000社以上になります。

 

―― それは凄いですね!実際、私達NIRO主催のセミナーも大変人気なイベントになっています。そこまで教育に注力されている熱意の源は何なのでしょうか?

未来を担う子どもたちの教養・教育が大事だと思っています。稼ぐ力といいますか。私達の理念を伝えていくことで、自分たちや日本の子供だけでなく、これからの社会を担っていく人材を育成していきたいのです。

 

―― 古芝さんは、最初は、場所やモノなどの「職場の3S」、その次は「情報の3S」、そして最後は「心の3S」だということを主張されていますね。「職場の3S」「情報の3S」についてはわかるのですが、「心の3S」とはどういう意味でしょうか?

例えば「靴を揃える」という行為を考えてみて下さい。行為が習慣化してしまうと、もう頭で考えなくても自然に手が伸びて「靴を揃え」ていますよね。これは、職場に限った話ではありません。家でも靴を揃えるし、公共のトイレでもペーパーが散らかっていたら次の人のためにキレイにする...といった具合です。こういった「感性」が磨かれてくると、いろいろなところで気付きが生まれてきます。例えば、誰も気にしないような屋根裏の汚れまでが見えてくる...これが「心の3S」です。最終的には、お客様も気付かないような部分でのサービスに繋がっていくのです。

 

―― お話を伺っていて感じるのですが、古芝さんは、何かを感じてから行動に移るまでの流れがとても早いと思います。それはなにか意図的なものなのか、それとも、体に染み付いているものなのでしょうか?

いつも後ろが崖っぷちと思っているからでしょう。チャンスがやってきたら、パッと掴む。チャンスを逃したら次はもうありませんから。いいと思ったことはすぐ掴む。でも、ダメだったらすぐ手放して...という具合ですね。昔、Macintoshに初めて出会った時の私の親父がそうでしたね。気に入って1台導入し、これは良いと思ったらすぐに「あと2台」(笑)。当時、1台のリース代が100万円でしたけど。
余談ですが、今や天下のアップル社も、昔、潰れそうになった時がありましたよね。確か、株価が3ドルとかになって。私はアップル社のファンでしたから、応援するという意味でアップル社の株を持っていたんですよ。

 

―― 今でもお持ちなんですか?とんでもない額になっているのではありませんか??

実は、3S活動に取り組み始めた1年目、社員の皆さんを慰労するために全部売ってしまいました。もし、売らずに持っていれば、何億円かになっていたかもしれませんね。

 

―― それは、惜しいことをしましたね!

いや、そんなことはありません。「3S活動」によって得た全社員の幸せが、私達の一番の財産ですから。

 

―― なるほど!そのような想いが、枚岡合金さんの3S活動の成功に繋がったということがよくわかりました。今日はありがとうございました。

こちらこそありがとうございました。

古芝氏