NIROインタビュー



 上村航機は、航空用および産業用ガスタービンの各種部品の加工や組み立てを行うなど、最新の設備と高度な技術を保有する会社で、1987年に有限会社上村製作所のガスタービン製品製造部門が独立して設立されました。
NIROは近畿経済産業局や関西経済連合会とともに、上村航機を含む地元の航空機関連企業からなるサプライチェーン構築に取り組んでいます(関西航空機産業プラットフォームNEXT事業)。

 今回は、神戸市西区の産業団地「神戸テクノ・ロジスティックパーク」にある、グループ会社の上村アドバンスド・テクノロジー株式会社(2017年12月設立)に伺いました。

上村義太郎社長

上村航機株式会社 代表取締役社長 上村義太郎(うえむらよしたろう)様



はじめはモーターサイクル部品から

 

―― 先ほど、見学させていただきましたが、広大な産業団地の中の巨大な工場、そして、整然と配置された数々の最新設備に圧倒されました。この工場で扱っておられる部品は、ロールス・ロイス社製ジェットエンジンの中圧圧縮機のケーシングやフロントベアリングのハウジングなどですね。いずれも、とても大きくて重そうな部品なのに、ミクロン(1ミリの千分の1)単位の加工・検査が行われており、その技術の高さがよくわかりました。上村航機さんは1987年の設立ですから、今年で創業32年目になりますね。独立前の上村製作所の話をお聞かせいただけませんか?

 上村製作所は、私の父が1960年に明石市に立ち上げた会社なのですが、最初の頃は、川重(川崎重工業株式会社)さんの船型研究用のプロペラや、同じく川重さんのモーターサイクルのエンジン部品の加工をやっていました。最初は「仕上げ」専門でしたが、次は「金型」の製作、その次は「鋳造」。そして、鋳造ができるようになったのだから、じゃあ「加工」も、と。加工についても最初は粗加工だったのが、精密加工もやらせていただけるようになりました。このように少しずつ少しずつ、しかし、着実に技術を磨いてきました。

―― ガスタービンはいつ頃から?

 モーターサイクル部品を納めていた川重さんから、「上村さん、ガスタービンもやってみませんか?」とお誘いがあり、「やらせてもらいます」となりました。最初は、非常用発電装置に使用するS1ガスタービンからですね。この製品は、川重さんが長年蓄積されてきた航空機用ジェットエンジン技術によって初めて国産化を達成したガスタービンでした。私達も、このようなエポックメイキングな製品に関わらせていただき大変光栄に思っています。

ガスタービンモデル

川崎重工製S1ガスタービン(カットモデル)


―― その後、ジェットエンジン部品も手掛けられるのですね。

 1987年に上村製作所の機械加工部門を分離・独立し、川重さんの資本参加も受けて、上村航機を設立しました。そして1991年には、V2500ターボファンエンジン部品の加工を始めました。このように、「ここまでできたのだから、次はこれをやってみてごらん」といった具合に川重さんに育てていただいたと思っています。


事業家を目指して


―― 上村社長は、ずっと、ものづくりの世界を歩んでこられたのですか。

 いや、この世界にすぐに入った訳ではないのです。小さいときから、商売に非常に興味がありまして、スポーツ選手とかではなく、事業家になるのが夢だったのです。高校時代から祖母の酒屋を手伝っていたのですが、祖母は足が悪かったので、私がかなりの部分をやっていました。そうするうちに、どんどん面白くなりまして。そして、大学に行く頃には、人も新しく雇ったりして結構稼いでいました。


上村義太郎様社長

 そうしているうちに、今度は小売だけじゃ物足りなくなってしまいました。酒販業は酒販免許制度で守られている反面、自由が無いのですよ。そのうち流通破壊、価格破壊を売りにしたディスカウントショップが出てきました。もう、そうなると資本勝負です。私も「どうやったら生き残れるか」と考えましたし、それはそれで楽しかったのですが、最後に辿り着いた結論が「値段ではなく質で勝負だ」ということです。では、「質で勝負するには」と考えて、まず酒造りから学ばないといけない思い、灘の有名な酒蔵に住み込みで勉強したり、ワインの学校に通ったり...ああ、この話は止まらなくなりそうなので、この辺で(笑)



上村航機の自立


―― その後、ものづくりの世界に入られたのですね。

上村義太郎社長

 上村航機が設立された当初は父が社長でしたが、実際に会社を回していたのは兄でした。一方で私は、上村航機との関わりはあったものの、上村製作所の方で厳しいコスト競争の中で生き抜いていくのに必死でした。これも、つい数年前までのことです。そして、父が亡くなった2005年に私が上村製作所の社長に就任しました。本当に大変でしたが、兄と私の二人がいたからなんとか乗り切きれたのだと思います。やはり身内なので、お互いの気持ちが分かり合えて本当に助かりました。
 その後、2014年に私が上村航機の社長に就任するとともに、兄は会長になりました。そしてこの時、川重との資本関係がなくなりました。このことは、会社にとっても重要な分岐点になったと思いますね。もうどっちに転ぶのも自分たち次第ということです。でも、これを機会にして社員の気持ちが一層ひとつになった気がします。

―― これで上村航機さんが独り立ちしたと...

 そんな簡単な話ではありませんよ。上村製作所の時代から何十年間も、技術も技能も川重さんから、それこそ全部指導していただいていましたからね。だから、川重さんからしたら、「もうそろそろ独立できるだろう。あとは自己責任でやりなさい」といったところではないでしょうか。


中核企業として地元企業をまとめる


―― このようにして、上村航機さんが成長された訳ですが、川重さんと上村航機さんとの関係のように、今、上村航機さんと地元企業の皆様との間で新しい協力関係が生まれているそうですね。

 近畿経済産業局とNIROさんによって立ち上げられた「関西航空機産業プラットフォーム」で、川重さんへのサプライチェーンを構築・強化する取り組みがあったのです。上村航機を統括企業として7つの会社を取り纏める、という構想です。ジェットエンジンの製造には非常に沢山の工程があり、それぞれに高い技術や品質管理が必要となります。従来は、川重さんから、各工程を担う下請け会社それぞれに対して発注しており、工程管理が大変複雑になっていました。発注元と受注先とで製品が行ったり来たりするので「のこぎり型発注」と言われているくらいです。

―― その複雑な工程を取り纏めるのが上村航機さんなのですね。

 はい。7社の地元企業から構成される「航友会」が2017年に作られるとともに、この上村アドバンスド・テクノロジーを設立しました。設立の際には、日本政策投資銀行による支援もいただきました。

―― 正に、上村グループが中核企業となった瞬間ですね。


さらなる高みを目指して


 いえ。まだまだ、やるべき事があります。特殊工程と呼ばれる熱処理や非破壊検査は、今でも川重さんじゃないとできないのです。今後は、これら特殊工程についても、私たち中核企業もやらないといけないと考えています。このようなニーズに応えるため、2017年に、兵庫県立工業技術センター内に「航空産業非破壊検査トレーニングセンター」が開設されたのですが、兵庫県からの補助金をいただき、当社からも2名が受講しトレーニングを終えています。

―― なるほど。では、トレーニングセンターで勉強されて、上村航機さんの中でも非破壊検査ができるようになったのですね。

上村義太郎社長

 いいえ。部品を製造して、その品質を保証するためには、特別な資格が必要となるのですが、その資格を得るためにはOJT(On-the-Job Training)と呼ばれる「現場での実務経験」が必須なのです。しかし、実務といっても、今はまだ、当社では非破壊検査をしていませんので、川重さんにOJTを受け入れていただきました。当社とは長年に渡る深い関係とはいえ、特殊工程と呼ばれる現場に他社の人間を受け入れて貴重な技術を教えるということは、大変なことなのです。しかし、上村航機を育ててやろうという、川重さんからの大きな期待が込められていると思いますし、私達もしっかり応えていきたいと考えています。

―― 上村グループとして、さらに将来を見据えた取り組みをなさっているそうですね。

 2005年に創立したウエムラ技研という会社がありますが、ここでは、3Dプリンターなどの革新的プロセスの開発や、ガスタービン補機用部品の製造をスタートしており、後者については、燃料噴射ノズルの国産化に成功しています。燃料噴射ノズルは、ガスタービンのメインパーツである燃焼器に燃料を吹き込むための部品で、ガスタービンの燃費や環境性能を左右する重要な部品です。


社員に夢を与える


―― なるほど、新しい分野への挑戦にも余念がありませんね。そういえば、先程、現場を見せていただいて思ったのですが、従業員の皆さんが元気に挨拶されて、とても活気にあふれる職場だなと感心しました。

 ありがとうございます。航空機製造の世界に入れるんだという熱い想いをもって当社に来てくれた若い人達ですから、私も何か夢を与えたいと思っています。もちろん、利益や改善など現実的なことが第一ですが、それだけじゃなく意識を柔軟にしてもらいたい。そこで今、「未来革新への挑戦」として全社員から自由なアイデアを募集しています。特に現場のことに限定せず、それこそ「工場で野菜を作りましょう」というアイデアでもOKとしました。そして、それが本当に良いアイデアならば、会社としてもきっちり予算をつけて事業化するつもりです。私達の役割は、若い人たちの意識を高めてあげることだと思っています。この通りにしなさい、じゃなくて、自発的な意識といいますか。そういう意識が高まることで、最終的な結果は絶対に変わってくると信じています。

あなたのアイデア大募集!

「未来革新への挑戦」のポスター

―― 最後になりますが、社長の息抜きの方法を教えていただけますか?

 夕方くらいに「ああ、今日はもう何もないな」と思ったら、新神戸から新幹線に乗って東京まで行くんです。新幹線に乗っている間に本を読んだり、ぼうっと考え事をしたりするのが大好きで。そして、東京に着いたら新橋の馴染みのお店に直行します(笑)...なぜかといいますと、新橋は一流の企業人も含めて、それこそ沢山のサラリーマンが焼き鳥とか食べてるでしょう。あれを見たら、日本の経済って元気だなって思えますから。

―― 社長のストレス発散法、とても興味深いですね...さて、創業者であるお父様がお亡くなりになって14年とのことですが、もし、お父さんが社長やお兄さんの目の前にふらっと現れて、今の上村グループの様子をご覧になったら、どんな言葉を掛けてもらえると思われますか?

 「まさかお前らがここまでできるとは。とっくの昔に会社は無くなっていたと思っていたよ」とでも言うのじゃないかな(笑)。

―― それは、最大の褒め言葉かもしれませんね。本日はどうもありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。

上村義太郎社長