NIROインタビュー



株式会社アトラステクノサービスは、食品工場などで使用される油の濾過装置や、食材そのままの色・風味・味を保った乾燥食品が製造できる、真空フライヤーを製造・販売されています。従業員数9名ながら、濾過装置の即席麺メーカー工場における国内シェアは約5割を獲得されており、その確かな技術力は食品業界以外にも様々な分野の企業から相談を持ちかけられるほどです。そしてNIROは、これら知的財産の保護に関して支援させていただいております。 NIROインタビュー第5回目は、アトラステクノサービスで独自の技術を守り続けてこられた、鯛かおる社長の技術にかける思いにせまります。

鯛かおる社長

株式会社アトラステクノサービス 代表取締役 鯛 かおる(たい かおる)様
-- 真空フライヤーの製品模型とともに --



突然の起業

―― 鯛社長がアトラステクノサービスを立ち上げられたきっかけは何だったのですか?

鯛かおる 社長

もともと私は1987年の大学卒業後、神戸市にある油濾過装置メーカーに研究職として雇われました。大学で栄養士の資格を取ったこともあり、食に関わる仕事がしたかったんです。ところが就職して半年後、とある事情で会社が営業と製造の2つの会社に分かれてしまい、私は製造の会社に勤めることになったのです。会社が分かれてからは、研究だけでなく、経理、営業補助、消耗品の濾紙の発送など、様々な業務をしなくてはならず、とても大変な毎日でしたが、それでも「自分たちの技術を世に広めたい」という思いがあったので、何とか頑張っていました。 しかし、バブルの崩壊や阪神淡路大震災、大手即席麺メーカーとの専売契約により他社に販路を広げられないなど、様々な事情が重なり会社の経営がどんどん悪化していきました。私は経理の仕事も担当していたので、毎日借金取りの対応に追われるようになり、恐い人たちからも頻繁に電話がかかって来ました。さすがに精神的に参ってしまい、電車内で泣きながら帰宅することもよくありましたね。1年の半分ぐらいはもう辞めようと思っていました。
 

―― とても大変な経験をされたのですね。それでも辞めずに続けられたのですか?

はい、辞めることはしなかったのですが、最終的に会社が倒産することになってしまったんです。1997年のことでした。日々技術力を向上させるため、まじめに取り組んでいたのですが、そのようなことになってしまい、「悔しい」という気持ちでいっぱいでした。

鯛かおる 社長
 困り果てた当時の社長と私は、今後の対応について考えるため、神戸商工会議所に相談に行きました。意気消沈していた私達でしたが、商工会議所の方が思いもよらぬ言葉をかけてくださったのです。「おたくには技術力があるから、絶対にどうにかなります。一緒に頑張りましょう!」と。その力強い言葉にとても心が救われたのを覚えています。そして半年くらい、どうしたら事業を続けられるか話し合った結果、技術を引き継ぐには私が独立して権利を買い取り、事業を始めるしか方法がないという結論になりました。機械も作ったことのない私が社長になれるのか?という不安でいっぱいでしたが、技術を引き継ぎ守るため、自分の貯金を取り崩し、キャッシングローンまで利用して資本金300万円を何とかかき集めて起業をしました。当時私は30歳でしたから、その若さの勢いというのもあったのだと思います。
 

―― 貯金を取り崩してまで、会社を立ち上げるという決断はなかなかできるものではないですよね?

計画的に起業しようと思ったのではなく、自分が携わってきた技術をどうにかつなげないといけないという一心で、やむにやまれず起業したという感じです。また、新たな会社を立ち上げれば、専売契約のしばりがなくなり、他の即席麵メーカーにも濾過装置を販売することができるようになるので、そこに向けて新たな装置を開発していくのも一つの事業になるのではないかと思い、起業を決断しました。

 

―― 会社が倒産するとなれば転職を考えるのが普通かと思うのですが、転職はお考えにならなかったのですか?

転職も考えはしましたが、やはりこれまで一生懸命やってきた努力が報われずに廃れてしまうという悔しさを捨てきれなかったんです。起業の夢があったとかではなく悔しさだけでしたね。

 

濾過機が営業マン

―― 起業されてから事業は順調に進んだのでしょうか?

食品用濾過装置
    食品用濾過装置

3年ほど細々と即席麺メーカーに向けて営業をしていたのですが、どこでお聞きになったのか、ある大手即席麺メーカーさんから「麺を揚げる油用の濾過機について相談したい」との連絡をいただきました。そこで濾過機の試験機を2~3か月お貸ししたのですが、その後半年近く経っても連絡がなく、また、こちらから営業に行く勇気も持てず、「もうあかんのやろなぁ」とほとんど諦めていました。
ところがある日、突然そのメーカーさんよりご連絡をいただき、「全ラインに入れるために計画を立てていたので調整に時間がかかってしまった」と、順番に全部のラインに導入していただけることになったのです。また、その会社の方が、「この濾過機はとてもいい」といろんな人にアピールしてくださり、他の即席麺メーカーにも広まっていくことになりました。普通なら、ライバル企業間で情報交換などありえないものですが、この業界は違うようでした。

 

―― それだけ鯛社長が守られた濾過機の技術が良かったということですね。

そうですね、私たちはよく「濾過機が営業マン」と言うのですが、使ってくださる方々が性能を認めてくれて口コミで広まっていきました。それでも10年ぐらいはかかりましたが。

 

倒産寸前の危機

―― 現在の御社の主力製品となった真空フライヤーの開発も、濾過機の開発と並行してされていたのですか?

鯛 かおる氏

いえ、起業してから10年ぐらいは濾過機の開発をメインでやっていました。真空フライヤーの権利も前の会社から買い取ってはいたのですが、最初は濾過機メーカーとしてやっていくことが目標でしたので、真空フライヤーは横に置いていたんです。ところが、ある日大手食品メーカーから、バナナチップスを新開発したいので、大型の真空フライヤーを作ってほしいと依頼をいただき、そこから開発を始めることになったのです。

 

―― 10年間手つかずだった真空フライヤーの開発をまた始めるというのは大変だったのではないですか?

そうですね。少ない社員みんなでアイデアを出し合いながら、何としてでも成功させようと一丸となって開発に取り組んでいましたね。何度も何度もテストを繰り返して改善を重ね、気が付けば7年半真空フライヤーの開発に費やしていました。

 

―― 7年半とはすごいですね。そしてようやく完成したのですね。

それが、そうはなりませんでした。開発を続け、やっとの思いで実用段階にまでこぎつけたところに、リーマンショックがやってきたのです。その影響で相手企業が資金不足となり、真空フライヤーの話が白紙となってしまいました。お金も時間もかけて7年半頑張ってきたのですが、結局一台も買っていただけずに終わってしまったのです。また他の企業からの注文も、不況の影響でキャンセルや延期が続き倒産寸前にまで追い込まれました。

 

―― そのときは精神的にとてもダメージを受けたのではないですか?

そうですねぇ。でも前の会社でもこういうことがよくあったので、「中小企業はきっとこういう目にばっかりあうんや、こんなもんや」と自分に言い聞かせて持ちこたえていましたね。

 

―― その後、真空フライヤーはどうなったのですか?

鯛 かおる氏

「せっかく頑張って作り上げたのになぁ」と悔しく思っていたところに、数年前に濾過機をご購入いただいた大手即席麺メーカーさんが、今度は即席麺の具材の製造に真空フライヤーを使いたいと言ってきてくださったのです。製作済みだった試験機の3倍の大きさのものを半年で作って納入しなければいけないということで、試行錯誤しながら頑張りましたが、結局9か月もかかってしまいました。というのも、濾過機であれば工事業者にお願いをして、お客様の現場に設置してもらうのですが、真空フライヤーは装置が大がかりで特殊なものなので、工事業者も設置ができず、全部自分たちでやらなければならなかったのです。設置後もいろいろと足りていないところがたくさん出てきたりして。担当者には4か月間泊まり込みで調整と改良を重ねてもらいました。
 また、先方からは様々な分析データの要求があり、それらにひとつひとつお応えしていくのにも時間がかかってしまいました。その当時は思うようにできなくてよく怒られていました(笑)。でも、大手企業さんとお仕事をさせていただくことで、私達、中小企業に足りていないことを、いろいろと学ばせていただいています。それが会社の経験値となって次につながるので、私たちはよく「お客様は先生や」と言っています。

 

―― お客様のニーズに応えることが、結果的に会社のプラスになっていったのですね。そしてようやく真空フライヤーの1号機を納めることができたのですね?

鯛 かおる氏

はい。時間はかかりましたが何とか無事に納入できました。また、納入後もトラブルなく動いてくれて、ようやくほっと一息つけましたね。
ただ、今回の案件での反省点は多々あり、改善の余地が大いにありました。今後、また購入したいというお話があったときに、今回のように現場で改良していくような恥ずかしい真似はできないという思いがあったので、社員全員で考えて改善していくことにしました。リーマンショックの影響で仕事が少なく、まだまだ倒産の危機だったのですが、お金は無くても時間だけはあるという状態だったので、金融機関に面倒を見ていただいたり、ある財団の補助金もいただいたりしながら改良機の開発を進めていきました。

 

―― 会社が倒産寸前という状況でも、開発を続けられたのはすごいですね。

問題点を改善して使える機械にしていくことがメーカーの存在意義であり、それができなければメーカーとしてモノ売っている意味がないという思いがあったんです。もちろん、金銭面で金融機関や財団のご支援をいただけたというのも大きかったですが。
 また、元々真空フライヤーを発明した前勤務先の社長も、バナナチップス向けのフライヤー開発には携わっていたのですが、途中で大病を患い完成品を見ることなく亡くなってしまったので、彼の成し遂げられなかった夢を私たちが引き継いで、真空フライヤーをより良いものにし、世の中に広めていかなければならないという使命感もありましたね。

 

―― 機械メーカーとしての社長の思いが新型開発を推し進めたのですね。開発は無事成功したのですか?

はい、1号機の問題点をすべて改善し、完成させることができました。そしてその2年後、同じメーカーより2台目の注文をいただき、新型を見てもらったところ「すごく良くなりましたね!」と一発合格をいただき、すぐに実用機を作ってお納めすることができました。あの時は社員一同大喜びでしたね。



 

視野を広げて経営に生かす

―― 鯛社長は、リーマンショック時にフードコーディネーターやパンコーディネーターの資格も取られたとお聞きしましたが。

鯛 かおる氏

はい、元々栄養士の資格は持っていましたが、リーマンショックで会社がつぶれるかもしれないという状況になり、他に何か手に職をつけておかなければいけないと思ったのと、事務員から急に経営者になったので、経営論というものを学んだことがなかったため、フードコーディネーターを勉強すれば原価計算などの経営的なことや、食のトレンドなどが学べ、会社にもプラスになるのではないかと思い勉強をはじめました。
当時私は機械も作れないのに機械メーカーの社長をやっているというところに引け目を感じていたのですが、資格を取得し、さらに食の知識を深めてからは、真空フライヤーなど食に関わるものに学んだ知識をいかしていこうと思うようになったのと、倒産寸前を体験したことで経営者としての覚悟が持てるようになったことで、ものづくりができない私が社長をやっていていいのかという思いも吹っ切れましたね。

 

―― そのような食に対する社長の思いが、2017年に設立された、野菜や果実を真空フライヤーでチップスに加工して販売する「神戸咲く咲くHarmony株式会社」につながるのですね。

咲く咲くチップス

はい。機械が売れなくなったときに他の柱がないといけないという危機感と、真空フライヤーを使って加工した商品を実際に食べてもらって、その性能を知ってもらうことは営業のプラスにもなるだろうということで、発案してから10年ぐらい、いろいろと考えながら準備をしてきました。よく、経営手腕があってそのような新しい事業に進出したと思われることが多いのですが、全くそんなことはなく、苦しさの中どうにか生きていくために立ち上げたという感じです。自分たちがやってこなかったことを新たに始めることはできないので、何かしら今の事業とつながりのあるところを少しずつ広げていくというやり方で、何とか展開してきました。 おかげさまで、真空フライヤーで作ったチップスの『丹波咲々黒大豆』が2016年度の「五つ星ひょうご」に選定されるなど、大変ご好評いただいています。

咲く咲くチップス咲く咲くチップス



会社を通してできること

―― 鯛社長の今後の目標を教えてください。

鯛 かおる氏

最近、企業を継続させていくことの大変さをひしひしと感じるんです。ですから事業を細く長く続けていくということが一番の目標ですね。これまで経営面で大きなダメージを受けることが多かったこともあり、企業としてしっかりと自分の足で立っていられることが大事だと思っています。
あとは、弊社の機械を使ってくださる方をもっと増やしていきたいですね。最近は品質重視やフードロス削減が叫ばれる世の中になってきたので、弊社の技術を活かせるフィールドが増えてきました。以前は「真空フライヤーで規格外の野菜を活用してみませんか」と言っても、「捨てたほうが早い」と言われることが多かったのですが、近年では少しずつご活用いただけるようになってきました。食べられるものを規格外だからと廃棄するのではなく、食べられるものとして世に出していきたいという思いがあるので、弊社の技術をお使いいただけるところが増えればいいなと思っています。

 

―― ダメージを受けてもなお進み続ける鯛社長のパワーはどこからきているのですか?

振り返ってみれば、多くの人の助けがあって、その都度なんとか危機を乗り越えられているんです。財務や支援策についてアドバイスをしてくださる方や支援機関さん、弊社の技術を認めてくださるお客様など、弊社の可能性を信じて一緒にお仕事をしてくださる方々のおかげで、ここまでやってこられました。ですから、みなさんへの感謝の気持ちを忘れないようにしたいですね。

 

―― 最後に鯛社長の休日の過ごし方を教えてください。

弊社の前に田畑があるので、そこで社員と一緒になって野菜作りや米作りをしていることが多いですね。あとはパンを作ったり食べ物を作ったりしています。米作りは12年間続けており、農業に興味のある街の若者たちに手伝ってもらったりもしているんですよ。彼女たちが裏手に石窯を作ってくれたので、年に数回そこでピザを焼いたりしてみんなでワイワイやっています。
ここを通じて「神戸にもこんないい場所があるんだ」と神戸の田舎の良さを知ってもらえたらいいなと思いますね。

畑 石窯
 

―― 今気づいたのですが、鯛社長がジャケットに付けられているブローチ、「鯛」ですよね?

そうなんです、知り合いが作ってくれたんですよ。もともと私の先祖は淡路島で鯛を釣っていたようで、鯛という名字になったそうです。今はすぐに覚えてもらえるのでいいのですが、小学校のときは、毎日のように学校で『およげたいやきくん』がかかっていたので、すごく恥ずかしかったです(笑)

鯛のブローチ
 

―― 本日、鯛社長にインタビューさせていただいて、アトラステクノサービスさんの魅力は、機械の品質もそうですが、社長のお人柄にもあると感じました。これからも神戸の魅力ある企業として、ますますご活躍されることを祈っております。本日はどうもありがとうございました。

ありがとうございました。

アトラステクノサービス