NIROインタビュー



 先端医療の企業・団体が集積する神戸医療産業都市(*)に、今年2019年5月に開館した「国際くらしの医療館・神戸」。産官学の連携などを通してイノベーションを生み出す場として、エア・ウォーター株式会社により設立されました。医療関連事業の拡大を目指す同社は近年歯科事業にも本格参入し、この「国際くらしの医療館・神戸」では、子会社であるアエラスバイオ株式会社が歯髄幹細胞を活用した歯髄再生治療の事業化を進めています。今回はそのアエラスバイオ株式会社の菊地耕三社長にお話をお伺いしました。
(*)神戸医療産業都市…ポートアイランドにある、日本最大級の医療産業クラスター

菊地氏

アエラスバイオ株式会社 代表取締役社長 菊地 耕三(きくち こうぞう)様



歯髄再生治療とは

 

―― 歯髄幹細胞や歯髄再生治療という言葉はあまり聞きなれないのですが、どのようなものなのですか?

菊地氏

 皆さんもご経験があるかもしれませんが、ひどい虫歯になって歯医者さんに行くと、「神経を抜きましょう」と言われることがあると思います。これは歯の内部にある「歯髄」を取り去るということで、その中に含まれる神経組織や血管も一緒に除去されてしまいます。神経や血管が除去された状態では、歯に栄養がいかなくなり、歯は変色し枯れ木のような状態になります。そのような歯が再び感染をおこしても、痛みを感じないために発見が遅れることがあり、ひどい場合は歯を抜いてしまわないといけなくなります。
 こういった治療後の悪化を防ぐために、自己の「親知らず」などの不用な歯から歯髄を採取し、その中に含まれる歯髄幹細胞(*)を培養して、歯髄を除去した歯に移植することで、失った神経や血管などを再生させ、健康な歯に戻します。これを「歯髄再生治療」と呼んでいます。できる限り長く、自分の歯で食べられるようにし、健康長寿に貢献するというのがこの治療の大きな目的です。
(*)幹細胞…分裂して自分と全く同じ細胞を作る能力と、別の種類の細胞に分化する2つの能力をもつ細胞

歯髄幹細胞図解

歯髄を除去した歯         歯髄幹細胞を移植     歯髄が再生し健康な歯に
図:アエラスバイオ株式会社ホームページより

 

―― 神経や血管が再生するとはすごいですね。
   歯髄幹細胞は歯の治療以外にも応用できるとお聞きしたのですが。

 歯髄には血管や神経を作るのに有利な幹細胞が多く含まれていて、神経や筋肉、臓器に関わる疾患など、さまざまな治療に広がる大きな可能性を秘めています。そのため、自己の歯髄幹細胞を保管しておき、将来再生治療が発展したときに、保管していた自分の細胞を使って治療をするというような、バンク事業も見据えながら研究・開発を進めているところです。


―― そのような研究はこちらの建物の中でされているのですか。

 はい、この「国際くらしの医療館・神戸」内で研究・開発しています。歯以外の組織への応用についてはまだ研究の段階ですが、歯髄再生治療については2020年内の治療開始に向けて準備を進めています。


日本臓器移植ネットワークでの経験


―― ところで菊地社長はこれまでずっと医療関係のお仕事をされてきたのですか。

 はい、そうです。

菊地氏

―― 歯科の関係ですか?

 歯の関係ではないんです。以前私は日本臓器移植ネットワークという団体に所属していました。亡くなった方からいただいた臓器を、公平・適正に分配する役割を担っている日本で唯一の公的機関です。私はその立ち上げに携わり、1999年、日本で脳死の臓器提供をスタートさせたときから、多くの事例でヘッドクォーターを務めていました。


―― そのようなご経歴をお持ちだったのですね。いつ頃から臓器移植のお仕事を?

 1995年からですかね。もともと私は透析の仕事をしていました。当時、日本で腎移植が全く進んでおらず、透析の患者さんがどんどん増えていくのを目の当たりにして、「なぜ移植が進まないのか」と漠然と思っていた時に、たまたま偶然の機会をいただき、兵庫腎疾患対策協会の助成を受けてアメリカのUnited Network for Organ Sharing(全米臓器分配ネットワーク。以下、UNOS)に行くことになったのです。当時は何もわからず飛び込んだのですが、後で聞いたところ、UNOSで受け入れた日本人は私が初めてだったようでびっくりしました。


―― その当時アメリカでは、移植は普通に行われていたのでしょうか。

菊地氏

写真:兵庫腎疾患対策協会会報より


 ヘリコプターやチャーター機で昼夜問わず毎日のように臓器摘出に飛び回っていました。年間の心臓移植は3,000件を超えており、腎臓移植は日本で1年間に行われる移植数が1日で行われていました。もちろん臓器の摘出は全て脳死からの摘出です。非常に衝撃的でした。





―― 日本とアメリカでは大きな差があったのですね。そのようなところで学ばれた後に日本に帰国されたと。

 はい。帰国当時、ちょうど日本でもUNOSのような、提供いただいた臓器を公平に分配する公的機関を設立しようとしているところでした。厚生労働省の委員として呼んでいただき、団体の立ち上げに携わりました。その後、臓器の移植に関する法案の制定を経て1999年に我が国で最初の脳死臓器提供が高知県の病院で行われました。


―― 私も鮮明に覚えていますが、第1例目はとてもセンセーショナルに報道されていましたよね。

菊地氏

 そうですね。法施行後、日本で初めての脳死臓器提供が行われるとの情報が流れ、数多くのメディアが高知の病院に集まってきました。メディアスクラムの中で臓器提供の手続きが進んでいったことをよく覚えています。あの状況下で臓器提供を決断されたご家族がおられなかったら、日本の脳死臓器移植はもっと遅れていたかも知れません。


―― 実にいろいろなご経験をされたのですね。大変な思いをされてもなお情熱を注いで続けてこられた原動力というのは何だったのですか。

 アメリカに行ったときに感じた、「アメリカでは助かる命が日本では助からない、何としてでも日本に臓器移植を根付かせたい」という思いでしょうか。日本に存在しなかったシステムを作ることで、それが人の役に立つ、助からない命が助かると純粋にそう思っていました。


よりよい未来のために


―― 歯髄幹細胞についても人の役に立つ、様々な可能性を秘めていると思いますが、今後についてどのような目標をお持ちでしょうか。

菊地氏

 臓器移植のように直接人の生死に関わる医療ではありませんが、歯髄幹細胞は今後の再生医療の発展において重要なポジションを占めてくると考えています。自己の歯髄幹細胞を保管して、将来自分のために役立てるのはもちろんのこと、例えばHLA(*)型の合致した他者に細胞をシェアできるようになると、治療の幅が広がります。そのような社会をつくっていきたいですね。骨髄移植では、ドナーとレシピエントのHLA型が完全に一致するのは10万人に1人といわれています。誰もが自身の歯髄幹細胞を保管しているような社会になれば、HLA型のあった人を見つけられる確率が高まり、その細胞を分けてもらうことで病気の治療などに活用できます。そのような社会になるのが私の夢で、そうなるべきだと思っています。
(*)HLA:ヒト白血球型抗原…ヒトが持つ白血球の型のことで、患者とドナーの型の不一致が多いほど、移植後の有害な合併症の発生率が高まる。


―― そのような社会はいつ頃実現しそうでしょうか。

 直ぐには難しいかもしれません。でも、必ず実現させたいですね。


―― それはとても楽しみです。NIROも御社と同じポートアイランド内に拠点を置いておりますので、そのような社会の実現に向けて何かお手伝いできることがあればうれしいです。



経営者として思うこと


―― 菊地社長はこれまで医療従事者としてのご経歴が長いと思いますが、経営者という立場になって感じる難しさはありますか。

菊地氏

 経営者としては、臓器移植ネットワークの常勤理事、海外患者の医療滞在ビザの取得や来日をサポートする社団の理事長、また先端医療を提供する病院の建設・運営を行ってきた経験から、会社経営の難しさを身に染みて感じています。アエラスバイオの運営に関しては、エア・ウォーター本社から多くのサポートを得ています。周りのスタッフに助けてもらうことも多いです。私の役割は、到達すべき目標をしっかりと定め、その達成に各自がやりがいを持ってチームワーク良く挑めるようリードしていくことと思っています。



―― 最後になりますが、菊地社長の休日の過ごし方について教えていただけますか?

菊地氏

 テニスが趣味なので、時間のあるときにはテニスで体を動かしています。まだまだ走れると思っていましたが、60歳を超えてから、がくっときましたね。頭の中のイメージは昔と全然かわらないのですが、途中で足がつったりして体がついていかないです(笑)。 大会に出ることもあり、昔はそこそこまで行きましたが、最近では一回戦で負けて、がっくりして帰ることもありますね。



―― 経営者として大変お忙しい中、今でもテニスを続けておられるというのはすごいことだと思います。これからもお体に気を付けて頑張ってください。本日は、どうもありがとうございました。今後もNIROは神戸医療産業都市の発展に向けた支援にも取り組んでまいりますので、また何かでご一緒できる機会を楽しみにしております。

 こちらこそ、どうもありがとうございました。