NIROインタビュー



プライミクス株式会社は、1927年設立の東洋クローム株式会社を祖とし、今年で創業93年を迎えます。1949年からは特殊機化工業株式会社として攪拌かくはん機製造を開始し、現在は、スマートフォンやハイブリッドカーなどに広く使われているリチウムイオン電池の電極材用攪拌機など、世界トップシェアを誇っています。2004年に代表取締役社長に就任された古市尚氏は、持ち前の発想力と実行力により大胆な社内改革に取り組まれ、2015年には、本社・国内製造・研究所の各機能を大阪から淡路市夢舞台(淡路花博の跡地)に移転・集約させ、職住一体となるオフィス・社員住宅を整備しました。
NIROは、プライミクス社の「薄膜旋回型高速攪拌機(フィルミックス®)」の改良技術の開発について支援申し上げています(水素等次世代エネルギー・環境分野参入促進事業)。

古市氏

プライミクス株式会社 代表取締役社長 古市 尚(ふるいち ひさし)様



5年間のアメリカ留学

―― 古市社長は早稲田大学の教育学部をご卒業後、まず、当時のお父様(現 プライミクス会長のみのる氏)が経営されていた子会社(ティー・ケー・食品機械株式会社/現 株式会社エフ・エム・アイ)に入社されたそうですね。

はい。その頃、私の兄のあきらは、攪拌機を扱っていた親会社の特殊機化工業(後に「プライミクス」に社名変更)で既に働いていましたが、私の方は、このティー・ケー・食品機械に入りました。1982年のことです。この会社は、食品機械の製造と輸入を事業としていましたので、本格的に「食」について勉強した方が良いと思い、入社後、アメリカに渡り、ミシガン州立大学経営学部のホテル・レストラン経営学科で、さらに、ニューヨークの料理大学The Culinary Institute of America(CIA:” 外食産業界のハーバード大学”)で、料理やレストランの経営学を学びました。この5年間の留学を通じて世界最高峰の食の知識を身に付けることができました。

 

まさかの勘当、そして外食コンサルティング起業へ

―― そして、ご帰国後、ティー・ケー・食品機械に復帰されたのですか?

いえ、そうはなりませんでした。実はアメリカ留学中にアメリカ人の女性と出会い、帰国後、結婚したいと父に言ったところ、「結婚相手を探させるためにアメリカに行かせたのではない!」と勘当されてしまい、会社も辞めさせられてしまったんです。失職後、CIAでお世話になった先輩から、東京の外食産業(株式会社日本ダブリュー・ディー・アイ/現 株式会社WDI)を紹介していただき、計数管理や新店舗の開発などを担当しました。そして、その頃、味の素株式会社が、新しい形の食のコンサルティング会社(株式会社トレッドアソシエイツ/現 株式会社味の素コミュニケーションズ)を設立するため人を探しており、ヘッドハンティングされて味の素に転職しました。そこでは、異業種から外食産業への参入支援やメニュー開発を行いました。


 

―― そのようなご経験を通して、「これならご自身でもできるんじゃないか」と思い、その後、起業されたのですね?

そうです。トレッドアソシエイツが設立された当初は、まだバブルの勢いがあったので、いろいろな企業の出資もすぐに集まり、また、味の素本社からも優秀な出向者が来るなど、盛況だったんですけれど、その後、バブルが弾けて5年くらい経つと...
そんな訳で、自分ならば、さらにリーズナブルな価格でコンサルができると考え、フィーストインターナショナル株式会社を設立しました。

 

―― 起業して如何でしたか?

最初は、うまくいきませんでした。「事業計画を立てて、ほら、いろいろな仕事がありますよ」みたいな話をしても、なかなか、その通りにはいかないものです。それで1年目はちょっと苦労しましたけど、2年目からは、どんどんお客様も増えて、経営もずっと右肩上がりとなりました。

 

食から一転、攪拌機メーカーの経営者に

―― その後、お父様のもとに戻られたきっかけは?

フィーストインターナショナルを経営していた2001年当時、既に父の後継者として特殊機化工業の社長に就任していた兄の章が重い病気になりました。そして父から私に「見舞いに来い」と電話があり、「この会社を経営して欲しい」と言われました。しかし、何をしている会社なのかも私は詳しく知らなかったので、「できるかどうかわからないから、取り敢えず1年間、監査役として会社に関わってみます」と応えました。そして監査役として各部署がどんな風に仕事をしているのかを調べてみたんです。そうしたら、お客様の立場に立った考え方とか、マーケティングの手法とか、その辺が全くできていない会社ということが良くわかりました。「これらの分野なら私が役に立てる」と思い、経営を引き受けました。

 

―― お兄様は理学部のご出身と伺いましたから、バリバリの技術屋ですよね。そこに、豊かな経験に根差したマーケティング手法を武器に、古市社長という新しい風が会社に入ったことになりますね。

この会社に来る前、私が設立したフィーストインターナショナルの時でも経験したことですが、外食のオペレーションなど表面的な事だけへの対応をしていては、本当の改革はできません。ベースとなる経営の手法から手を付けないと駄目なんですよ。このようなコンサルの経験を重ねてきましたから、特殊機化工業でも同じような手法でできると思いました。

古市氏
 

会社を根本から改革する

―― さて、長年にわたり外食産業に関わってこられた古市社長が、一転、攪拌機メーカーの経営者となられた訳ですが、ご自身は攪拌機の知識を殆どお持ちになっていない一方で、会社には、これらの分野のスペシャリストが沢山いらっしゃる。双方の考え方には大きな相違があったのではありませんか?

はい。当時の会社には、「ただ、ひたすら良いものだけ作っていれば良いのだ」という感覚に支配されていたんです。ですから、私の役割は、会社の外で起こっていることを会社の中の開発とか技術の人間にしっかり伝えることだと思いました。

古市氏
 

―― プロダクトアウト的ですね。「仕事は向こうからやってくる」というような。

そうです。その反省から、例えば、「プライミクソロジー・チャレンジ」という来社テストのしくみを作りました。プライミクスの攪拌理論をもとに、お客様の実際のサンプルを使って試行実践し、お客様の課題解決につげるようにしていきます。このようにして、お客様の悩みに対するソリューションをご提供できる企業になりたいと考えています。

 

―― 二次電池の電極についていえば、電極用の材料を混ぜる攪拌機単体を売るだけではなく、電極製造の最初から最後まで纏めてご提案するというご発想ですね。素晴らしいです。

攪拌というものは、混ぜる材料やその目的によって、最適な混ぜ方が変わってきます。今となっては考えられないことですが、私がこの会社に来た頃、社内では「お客様が何を混ぜているか聞くな」と言われていたんですよ。どういうことかというと、「お客様が混ぜるものは無限にある。そもそも、うちは機械屋なんだから、機械が正常に動いているかだけをチェックして、後はお客さんに任せておけ」ということなんです。だから、お客様には「うちの機械ではこんな混ぜ方ができます」とは言っても、「何ができるか」は一切言わないのです。これではだめだと思いました。

 

―― 御社の攪拌機は、「全国発明表彰」の日本弁理士会会長賞・発明実施功労賞や「化学工学会賞」の技術賞など沢山の表彰を受けており、大変高く評価されていますよね。

はい。昨年、リチウムイオン電池の開発で旭化成の吉野先生がノーベル賞を受賞されましたが、リチウムイオン電池を製品化したのがソニーさんですね。実は、その当時、当社の攪拌機を購入いただいており、「こういうことができないか?」と相談もされていたのです。しかし、先程お話したように、その頃の当社は、「お客様の混ぜることに首を突っ込むな」という考え方でしたので、ご要望をちゃんと聞かなかったため、次に繋がらず競合会社に負けてしまいました。

古市氏
 

―― フィルミックス®(プライミクス独自開発による革新的攪拌機。リチウムイオン電池用電極材料の攪拌に威力を発揮)は、その頃、既に製品化されていたのですか?

はい。しかし、良い機械なのに、お客様が使いこなせず、その性能を出し切れていなかった。私が会社に来た頃、既に100台くらいは売れていたのですけれど、実際に生産に使っていらっしゃるお客様はいなかったと思います。フィルミックス®が今までの攪拌機と全く違う、ということは知られており、十分な開発費をお持ちの優良企業のお客様には買っていただいていたのですが、実際は倉庫に眠っていたようなものが多かった筈です。しかし、その後、フィルミックス®の可能性を信じ、お客様の課題に共に取り組む努力を重ねてきた結果、今では、電極材料用攪拌機としてトップシェアを誇っています。

 

淡路夢舞台へ

―― 社長が行った数々の改革の中でも特に社外からも注目を浴びたのが、淡路島への移転ではないですか?

そうかもしれませんね。1927年の創業以来、大阪に拠点を置いていたのですが、手狭になり老朽化が進んでいたので、社長に就任した頃から移転を考えていました。そして2015年、本社・国内製造・研究所の各機能を大阪・埼玉から淡路市夢舞台(淡路花博の跡地)に移転・集約させました。

 

―― なぜ、ここ淡路を移転先に選ばれたのですか?

他にも大阪、京都、兵庫、奈良などにも候補地はありましたが、ここ淡路夢舞台を選んだ一番の理由は、自然環境が整っていて豊かな自然に恵まれていたことです。また、母方の祖父が南淡路の出身というご縁もありました。

古市氏

―― オフィスや社員食堂を拝見しましたが、壁一面の窓から広大な海が一望できることに驚きました。まるでリゾートホテルのようです。

大阪湾を臨む大斜面に、オフィス・工場や社員食堂だけでなく、40戸の独身寮と10戸の世帯寮を設けました。寮には、大浴場や映画館、さらにゴルフ場やフットサル場もあるんですよ。既に、淡路島の本社の従業員の内3分の2が島内に居住していまして、私自身もここに住んでいます。社食にもこだわり、寮の食堂も含めて、朝昼晩の3食を提供していますが、1年を通じて同じものは出しませんし、野菜や米など約80品目は島内で仕入れたものです。このような取り組みに対して、2016年に、本社と工場が日経ニューオフィス賞の「近畿ブロックのニューオフィス推進賞」を頂きました。これは、職住一体型のワークスタイルを実現したことや、「日本一楽しく、おいしい食堂」を目指したことなどが高く評価されたと思っています。

 

―― 地方に移転し、従業員に快適な環境を提供する理由とはなんでしょうか?

知名度が低い中小の製造業に若い人はなかなか注目してくれませんから、良い人材に来ていただくために、会社の外に対してプライミクスの売りをはっきりさせる必要がありました。それに、良い環境で楽しく仕事ができれば、良い結果が生まれますし。また、「地方創生」に繋げたいという想いもありました。

 

地元・淡路から「良いもの」を届ける


古市氏

―― 地方創生といいますと、2015年に淡路市に移ってこられて、地元との繋がりをとても重視されており、BROUGHT TO YOU BY AWAJI ISLAND JAPAN(「日本の淡路島からお届けしました」)というロゴを掲げておられますね。最初は、「もともと淡路に、あのような標語があったのかな」と思ったのですが、実は、プライミクスさんのご発想なんですね。

魚介・農産物を始め淡路市では良いものがいっぱい作られていますが、そのように淡路島から出ていく様々な「良いもの」にマークを付けてもらったらな、と思い作りました。今のところは、うちの会社の機械に刻印して出しているだけですが、今後は、もっといろいろな方にも使っていただきたいと思っています。日本は人口減少が進んでおり、このままでは地方が消滅してしまいます。これを食い止めたいという発想です。働く場がここに有れば地域が活性化しますから。

 

―― 御社の中期経営計画を拝見しました。一般的には、売上や利益の目標値など経営数値が示されているものですが、そうではなく「組織の質を高めて笑顔になろう」と書かれていました。これは、どちらかというとスローガンですよね。

そうですね。うちはあまり数字を気にしていません。

 

―― でも、電池のように様々な新しい分野に乗り出していかれたら、会社もどんどん大きくなりますよね。そうなったら、上場もして会社の姿は変わっていくのでしょうか。

アメリカ式の資本主義の考え方では、会社は株主のためだけに存在していますよね。しかし、それはおかしいのではないかと思っています。そうではなく、社員や近隣社会などに貢献できる公器になるべきではないかと。もし、当社が上場すると、株主の考えを聞かないといけなくなりますよね。でも、投資家は自分のリターンしか考えないでしょう。そのような人達に株を買われたら、やりたいことが思うようにできなくなりますし、今のプライミクスの良さを保つためにも、上場というのは目的にはならないと考えています。

古市氏
 

ライフワークとして、日本の食を変えていく


―― 攪拌機から離れたことをお伺いします。その後の食文化への関わりについては如何ですか?

先進国では珍しいことなのですが、日本には、私が学んだアメリカのCIAのような食の高等教育機関がありません。ですから良い人材が育ちにくい。今、関西IRの実現などにより何万人もの雇用が生まれるとか言われていますけれど、現実には、マネージメントまでできる「食のプロ」が不足していると思います。このようなことから、経営方法までも教える食の専門職大学を日本に設立したいという夢をもっておりましたので、食の高等職業専門教育機関の設立に貢献することを目的に、兵庫県のバックアップもいただき、2017年に一般社団法人食の学問体系化研究所を設立しました。CIAの誘致活動も進め、最終的には、ここ淡路に専門職大学を設立させたいと考えています。これは私のライフワークでもあります。

 

―― 最後にお伺いします。古市社長のトレードマークの蝶ネクタイですが...

30歳くらいから大学で教えていましたが、「どうやったら先生らしくなるのかな?」と考えて、ある日、冗談半分で蝶ネクタイをしてみたんです。そうしたら、生徒さんが皆「いいなぁ」と言ってくれたんですよ。それから、普通のネクタイは全て捨てて、今は蝶ネクタイしか持っていません(笑)。全部で400本くらいありますよ。

 

―― それは凄い。「蝶ネクタイの社長さん」... これは社長ご自身のブランディングですね。

はっはっは。

 

―― 今日はどうもありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。

古市氏