NIROインタビュー


美しき国宝姫路城を正面に、駅から真っ直ぐに伸びた姫路のシンボルである大手前通りを北へ約200メートル。イチョウ並木が見え始めた左手の一角、白銀町(しろがねまち)に、婦人服ブランドBrijean(ブリジャン)を扱う老舗、オートクチュールサロン「ブティック輝(てる)」は店を構えます。海外を思わせる路地の佇まい、艶やかな紺色の壁に金色のロゴが印象的な店先のショーウィンドウには、季節に合わせたお洋服とディスプレイ。女性の誰もが憧れるファッションという名の香りが漂います。

今回は、有限会社ブリジャン、専務取締役の谷口泉様とアトリエディレクターの北原利江子様にお話を伺いました。有限会社ブリジャンは、社長のお父様、専務のお母様、娘の北原様のご家族で経営されておられます。

NIRO内に設置されている兵庫県知財総合支援窓口は、有限会社ブリジャンで販売されているオリジナルのデザインバッグのマーケティングについての相談を受け、支援を行いました。支援を行ったオートクチュールバッグは現在、店頭ではもちろん、インターネットショップでも販売されており、全国の女性から注目を集めています。

谷口様、北原様

(左)専務取締役 谷口 泉様 
(右)アトリエディレクター 北原 利江子様

Brijean(ブリジャン)ホームページ

ハイクラスブランド Brijean(ブリジャン)

―― Brijeanは立ち上げから35年の老舗ブランドだと伺いました

ブティック輝

谷口泉専務(以下、谷口):先代が戦後まだ既製服などが無かった時代の1966年にオートクチュールサロン「輝服装店」を、ここ姫路に創業したんです。自社ブランドはまだその頃にはなくて、オーダーメイドのお洋服の仕立てを主として営んでいました。
私の生家は姫路で呉服店を営んでいました。私の母は洋裁が得意だったので、幼い頃から流行の最先端の洋服を作ってもらって着ていました。縁あって現社長の谷口の元に嫁ぐことになり、結婚して1年で、プレタポルテ(高級既製服)ブランドBrijeanを立ち上げたんですよ。

―― 1年で立ち上げとは、すごい行動力ですね!

北原利江子さん(以下、北原):専務は行動力の塊ですね。今でもです。明日、突然海外に行ってもおかしく無いほどのフットワークの軽さがあるんです。

―― 海外へは生地の買い付けで行かれるのですか?

(谷口):ブリジャンは、先代の創業時からインポート生地を扱うお店として受け継いでおりますので、生地は1年に2回ほど、ヨーロッパ・インド・タイなど、海外に買い付けに出向いています。コロナ禍で暫く行けなかったんですが、昨年はイタリアに行ってきました。生地屋さんからは「いつになったらくるの?」と何度も連絡が来ていたほど久しぶりの渡伊でした。ミラノを拠点に、シルクやカシミアの産地を廻りました。

Brijean

(北原):海外の生地は質や色合いやセンスが独特なんです。それが、ブリジャンのこだわりの一つにもなって差別化にも繋がっていると考えています。ヨーロッパそれぞれの国や場所によっても特徴があるんです。

(谷口):掘り出し物もあったりもするんですよ。数メーターしか残っていないようなサンプル生地なんて本当に魅力的なんです。日本に一着だけのお洋服になるために海を渡ってくるんです。

(北原):サンプル生地は特に量産に向かない布が多くて、縫製が難しいとされているんですが、本当に魅力的なんです。縫製が難しい布でもブリジャンでは間違いなく縫えますし、美しいものに仕上げる自信があります。

(谷口):ブリジャンなら形にできるって思った生地は ”ごそっと” 買い付けて来てしまいます。

―― 言葉の壁など関係ないくらい、豪快な買い付けですね

谷口氏

(谷口):現在では海外に出向いて直接買い付けをしていますが、その昔は、国内で商社からシーズンごとに生地を買い付けていました。その頃、小売と製造は姫路、営業所が大阪にあり、営業マンがお取引のお店からの受注を受けていたのですが、阪神大震災をきっかけに閉鎖して、私が新規開拓のために、北海道から沖縄まで行きました。

―― え?全国ですか? 凄まじいフットワークの軽さですね!

(谷口):そうですね(笑)
例えば、北海道では、千歳まで飛行機で行って、あとは道内を電車でまわりました。一緒に乗り合わせたおばさま方におすすめの場所を教えてもらったりして。

―― 現地の方との触れ合いもありつつだったんですね。

(谷口):当時、営業は男の仕事というのが当たり前だったので、はじめはとても怖かったのですが、婦人服を扱うお店に行くわけですから、女性の私が行くと、思いの外すんなりと受け入れてもらえる事が多かったです。

(北原):女性のお客様だと思って「いらっしゃいませ」って言った手前、話しを聞かないわけにはいかないものね。

(谷口):そうですね。ラッキーだったと思っています。

(北原):ラッキーというよりも、専務だからこそ出来る凄さだと思います。買い付けでも営業でも、専務は自分が行ってみたい場所に仕事を作って出向いて行きます。例えば国内なら美味しいものがある場所へ、海外なら景色が綺麗な場所へ。そして、どこへ出向いても、探求心が強くて、絶対手ぶらでは帰ってこない。絶対真似ができないと思ってしまうぐらい、常にアンテナを張っているんです。

たかが1ミリ、されど1ミリ こだわりのお洋服

―― 北原さんは、いつ頃から今の仕事を意識されておられたのですか?

北原氏

(北原):幼稚園の頃に「将来何になりたいの?」と聞かれて「お洋服屋さん!」と言ったのは今でも覚えています。生地の問屋さんが家に来ている時も、普通にそばで見ていましたしね。中学の時、家族でミラノに旅行に行ったんですけど、そこで何故かミラノに留学すると宣言してしまって。とはいえ、イタリアは紳士服が強く、フランスの方が婦人服は強いのでフランスに留学する事にしました。

―― 留学は何年ほど?

(北原):3年です。日本で通っていた服飾専門学校の本校がパリあったので、そこに編入しました。初めての一人暮らしがパリだったので、それなりに苦労がありました。その留学時代に、専務である母が仕事でよくフランスに来ていたので、一緒に買い付けに同行させてもらったりしました。

―― ファッションの聖地フランスで学ばれ、卒業後はブリジャンに入られたんですね

(北原):大手アパレル企業に就職しても、思うような仕事が出来ないかもしれない。やりたい事やるんだったら私にはブリジャンしかないって。その当時、創業者の祖母がまだ現役で、アトリエでお洋服を作っていたので、祖母から直接習うのが一番だって思ったんです。私が入社後、亡くなるまでの約10年間、祖母は生涯現役であり続けました。祖母の元でしっかり修行できて本当に良かったと思っています。

―― 入社されてからの苦労などはありましたか?

(北原):入社してすぐは何もできないんです。専門学校出たからって、すぐに目の肥えたお客様にお見せできるクオリティのものは出来ないんです。例えばジャケットのポケットを綺麗に縫うのに何度もやり直して、その作業に半日もかかってしまって・・・。それでは会社にも迷惑をかけてしまうので、当時は落ち込んだりしました。でも今では、数分で簡単に縫えるようになりましたけど(笑)

―― お洋服の縫製は、お一人で全部仕立てられるんですか?

(北原):そうなんです。ブリジャンではお洋服は、最初の生地の地直しから、裁断、仮縫い、縫製、そして最終的な仕上げ、検針まで、全て担当者が一人で行っているんです。1ミリのこだわりを叶えるブランドのクオリティを支える要なんです。ブリジャンが認めるクオリティで縫える技術を持った人でないと一着を任せませんし、工場の縫製とは違う、オーダーメイドを基本としたオートクチュールであるブリジャンのクオリティを数年かけて覚えてもらっています。縫製技術が長けていて、一般的には問題ない縫い方ができるだけでなく、美しさを追求して生み出された「ブリジャンのノウハウ」を、すっと受け入れてもらえる人だけに残ってもらっている感じです。逆に考えれば、基本的な技術というか、コツをわかってもらうための時間もかかるかと思ってます。 あと、型紙は社長の父が全て担当しているんです。何をするにも、まず型紙が良くないと、縫製が上手くても、思うようなものは出来ないと思っています。

谷口専務と谷口社長

(左)谷口泉専務 (右)谷口茂社長

―― 縫製だけでなく、型紙にもこだわりがあるんですね

(北原):型紙は時代時代でちょっとずつ変化していて、シルエットにもトレンドがあるので、そのちょっとした変化を研究して作っているんです。研究したものを最終的に型紙にするのは社長なので、社長あってのBrijeanであるのは間違いありませんし、本当にそこが強みだと思っています。生地は同じルートを持っていれば買って来れますが、型紙は他所(よそ)では真似できないものです。

(谷口):Brijeanの型紙は、ブランドを立ち上げる時、2~3年かけて、それまでのオートクチュール(高級仕立服)に加えてプレタポルテ(高級既製服)の分野に参入するために、日々研究して作り上げたものです。完全オリジナルなんです。 選ばれた生地にあうオリジナルの型紙が生まれ、職人がひとつひとつ丁寧に作業を行なう。そして、誰にも真似できない、美しい唯一無二のお洋服が出来上がるんです。それが、プライドです。本当に、こだわったからこそ「わぁ!良いものできた!」みたいな驚きというか感動を味わえる時があるんですよ。

(北原):そうそう「カッコいい!カッコいい!見て!見て!」って。自画自賛カーニバルが始まるんです(笑)

(谷口):作る側の感動が無いと、お客様には喜んでもらえませんものね(笑)

コロナ禍で生まれたシルクマスク

―― Brijeanをネット検索すると「トキメキをプラスするシルク100%マスク」という言葉が一番にヒットしますね。シルクマスクを作る事になったきっかけを教えてくださいますか?

シルクマスク

ⒸBrijean

(北原):コロナ禍になって、外出着の需要が無くなってしまって、ちょっとアトリエが暇な時期があったんです。その時ネットショップからのメールで「マスクを作って出品して欲しい」と要望があったんです。当時はマスクが不足していて、布マスクを作る人が増えている時でした。アトリエで一番身近に手に入るマスクに適した素材がシルクだったので、私たちはシルクでマスクを作り始めました。
シルクは呼吸する天然素材だと言われていて、冬は暖かく、夏は涼しく快適に身につける事ができるんです。しかも、女性には嬉しい紫外線カットの効果もあると言われています。
マスクが少しずつ売れはじめて来た頃、マスクを作ろうと言い出したのが私だった事もあり、私一人でマスクだけ縫って終わる日々が続き、大丈夫かと不安になる事もありました。でもそのうち、もう一人、一人とマスクを縫って終わる人が増えて・・。最終的には、アトリエ全員がマスクを縫っていたんです!

(谷口):そうなんです、お店の奥では発送作業を行っていました。

(北原):ご縁があってブリジャンのマスクを雑誌で紹介していただいたのですが、どんどん入ってくるマスクの注文に、緊急事態宣言中もフル稼働でお店を休む事ができない程でした。シルクマスクの繋がりで、東京をはじめとして色んな箇所でポップアップを出す事にもなって、リアルにお客様が来て下さったりして、様々な人脈が増えていき、メディアに載るってこういう事なんだと改めて実感しました。

―― シルクマスクは、お直しなどのフォローもされていたと伺いましたが

(北原):お客様ひとりひとりの要望をできるだけ取り入れ、デザインもバリエーションも豊富に取り揃え、肌が弱い人用に耳の近くまで布が当たるようなマスクも作ってみたり、お顔が小さい方用に小さめのサイズを作ってみたりと、「世界にひとつだけの貴方だけのマスク」と言い切れるまでのオーダーを受け、こんな希少な生地を使ったものは、絶対、誰にも真似ができないと思って作ってました。

次の成功への一歩 踏み出す勇気

 

(北原):でも、マスク作りで忙しかったある日「コロナ禍が終わったら、マスクは必要なくなるな」とふと考えた事があったんです。

―― 多忙を極めていた時期にですか?

(北原):そうです。オーダーメイドの服はネットでは売れないし、別の何か。シルクマスクの次の商材がないと駄目だって。お洋服じゃなくて、もうちょっと気楽な感じで、誰でも手にしてもらえるモノってなんだろうって。そうだ、アトリエにある生地を使った物が良いかもって。それで、社員全員で色々と話し合った結果、バッグを作ってみたら良いんじゃないかって。国内に出回ってない希少な生地を使ったオートクチュールバッグを作ってみようという事になりました。

―― バッグもこちらのアトリエで製作されているのですか?

(北原):そうなんですよ! 型紙から裁断から全部自社です。
サンプルを工場にお願いした場合、出来上がるのに通常1~2か月かかってしまうんです。それだと専務のスピードにはついていけませんからね。極端な事を言えば、今日、思いついたものは明日手にしていたい。フットワークが軽い、ブリジャンならではの発想です。

―― 自社のアトリエで作られておられるとは思いませんでした。バッグ作りのノウハウはどうやって習得されたのですか?

(北原):姫路は革の街として有名で、ある鞄屋さんが主催する、カバンの製作体験会に参加してみたんです。それで何日か通って、ようやくカバンが出来上がった時「できる!」って。

今まで経験を重ねてきて、ミシン自体には慣れていますし、ミシンの機械が違っても、素材が変わっても大丈夫って思えたんです。素材が変わるって大きな違いなんですけど、慣れればいけるという自信です。それから、鞄用のミシンを買って、以前のNIROインタビューに出られていた(株)ニッピ機械さんが製造されている「革漉き機」も買って、色々と機械を揃えて、今では明日にでも新しい商品が作れるようになりました。

―― 明日ですか? 本当に凄いですね!

(谷口):スピードを緩めず、何度も試行錯誤を繰り返して、着せ替えタイプのオートクチュールバッグは誕生しました。最初は、少し大きめのトートバッグからはじめ、今は少し小さめのハンドバッグを主に売り出しています。
オートクチュールバッグの中には、昔から残していた生地、3~40年前のビンテージの生地で作った物もあり、それなら、お客様が捨てられなくて大事に残されている生地も使って作るという「サステナブル」な発想も出てきました。

オートクチュールバッグ

ⒸBrijean

(北原):実は、お洋服を作る際にも、どうしても残布って出るんです。縫製で使わずに余ってしまった布です。でも、私は捨てられないんですね。全部、山のように置いてあるんです。でも、勿体ないなって、こんなに良い布がいっぱい目の前にあるのにって。オートクチュールバッグにして人の目に触れさせたいなって。ここ数年、サステナブルが意識されるようになって来ていますがブリジャンがやって来た事はずっとサステナブルだったっていう事に、最近になって気付いたんです。

もったいない精神から”唯一無二”を創り出す ブリジャンのチカラ

―― さらに新しい試みにも挑戦されていると伺いましたが

(北原):サステナブルな時代になって、Brijeanというブランドにこだわらず、お客様の生地でお洋服を作っても良いんじゃないかって考えるようになって、昨年の9月から「サステナ・クチュール」という事業を開始する事にしたんです。

(谷口):生地に限らず、着物やスカーフを別のデザインへと変身させる、リメイクとは一線を画した、フル・オーダーメイドです。ご相談から仮縫い、仕上がりまでは1か月半ほどでお受けしています。お客様のサステナブルをお手伝いでき、とても喜んでいただいています。

サステナ・クチュール

ⒸBrijean

最近では、お母様のお洋服を娘さんのサイズに合わせてお仕立直しをするご相談も増えてきています。サステナブルファッションがどんどん広まってきていますね。

(北原):単純に”もったいない”という気持ちだけでなく、ブリジャン独自の高い製図技術と縫製は他所(よそ)とは全然違います。仕上がったものは、背筋がすっと伸びるような、良いお洋服として仕上がっている自信があります。これからもその違いをわかって頂けるように発信していかなければと考えています。

(谷口):こだわりの結果でしょうか、ブリジャンのお洋服は品がありますねって評価いただいています。

(北原):縫製、仕上げまで、全てにおいてプロ意識というか、高い技術力を誇っています。

―― 老舗のハイブランドであるBrijeanだからこそ持っている、唯一無二の誇りなんですね

谷口氏、北原氏

―― 最後に、プライベートについてお伺いしても良いですか?休日は何をして過ごされていますか?

(北原):子供達と一緒にお出かけしたり、遊んだりとかですね。 そうそう、娘からはお洋服屋さんになりたいとか聞いた事は無いですが、アパレル系が好きそうなタイプです。かつての自分を見ているみたいです。私は職人肌なんですが、娘はデザイン力というか絵がすごく上手です。想像力というか、ゼロからものを作るのがすごく上手いなぁと思います。自分が着るお洋服にもすごくこだわりがあって、「こんなデザインのお洋服を作って欲しい」とリクエストしてきます。

(谷口):私は旅行です。とはいえ、ちょっと仕事絡めちゃうんですけど(笑)バッグを置いてもらっている得意先に、せっかく近くまで行ったんだからと出向いたりしています。

そうそう、オートクチュールバッグが、令和4年度の「五つ星ひょうご」に選ばれたんです。 その繋がりで日本航空さんの「JALとっておきの逸品」というマイレージで商品が買えるページにも、オートクチュールバッグを載せて頂いています。

―― 結局、仕事のお話しされてますね(笑)

(谷口):習い事はしたいんですよ。例えば、機械編みとか。

(北原):結局、繊維から抜けられないんでしょ?

(谷口):編み物は趣味!(笑)

―― 仕事が趣味って、幸せですね!

(北原):世界は美しい布であふれているんです。今迄もこれからもブリジャンから生まれた世界一のオリジナルをお届けする事を目指して行きたいと思っています。

―― 今後のブリジャンの更なる発展をお祈りしています。今日は本当にありがとうございました。